六四郎に出会うまでの小三郎(吉住慈恭)

一方、二つ年下の小三郎は…

誕生

小三郎は明治9年(1876年)12月15日、新宿に生まれました。本名は吉住長次郎。三代目吉住小三郎は育ての親でした。戸籍上は三代目と四代目の父が同じになっており、兄弟ということになります。

父は二代目吉住小三郎であると、子どもの頃から聞かされ、そう信じてきたのですが、晩年に謄本を確認してみたところ、父は吉住勘四郎、生母フデとあり、小三郎自身が驚いたといいます。
 
早くに育ての親である三代目を亡くし、複雑で分からない部分がある、吉住家は長唄一筋に生きてきた家で、昔のことでもあり、戸籍がどうなっているかなど気にしていなかったためではないかということでした。
三代目
吉住小三郎

父が亡くなったため、兄である三代目は、弟の長次郎を2歳で引きとり、子として育てることにしました。

一度は高井戸の農家に里子に出しましたが、4日目に農家を訪ねた妻が、いろりのそばで寝かされている姿を不憫に思って無理やり家へ連れ戻したそうです。

三代目には長次郎の他に、男の子が3人、女の子が2人いたのですが、長男の金太郎以外はいずれも若死にしてしまい、子どもは長次郎と金太郎の2人になってしまいました。
金太郎も初めは長唄の稽古をしていましたが、筋が良くなかったので長唄をあきらめ、長唄をするのは長次郎だけでした。

小さな頃から唄が好きだった小三郎

小三郎
1歳

三代目夫婦の話では、長次郎は夜寝る時に唄を唄わないとどうしても寝付かなかったそうです。

歌詞を間違えると、たちまち目をあけて泣き出したり、お稽古の音でも上手い人の声ではすぐに寝るのに、音痴だとむずかったりと、小さなころから唄が好きな子どもだったようです。

小三郎もまた14歳になる年に四代目を継ぐ

明治22年12月、三代目が亡くなりました。

翌年の明治23年3月、14歳の若さで四代目吉住小三郎を継いで吉住流家元になり、歌舞伎座のはやし頭の十二代目六左衛門のすすめにより、見習いとして歌舞伎座に出勤するようになりました。

歌舞伎座は九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左団次のいわゆる明治の「団菊左」の時代でした。

 

14歳になる年に六四郎、小三郎になった二人。20代でこの後100年以上も続く事になる長唄研精会を立ち上げることになります。